司馬遼太郎さんの街道をゆく『南蛮の道』に駆り立てられ、バスクというところに行ってみました。
フランシスコ・ザビエル、ソーヴェール・カンドウ、サンセバスティアンのワイン、ピンチョス……、
そしてときどきゴルフ。
まさに、極楽一人旅ではありました。
昨日までと打って変わり、急に寒くなり、雨の中、中部セントレアから成田。成田は雪。
成田までの飛行機の中に、パリの友人へのお土産として買ったバンカクの「ゆかり」を忘れてしまうが、あとから振り返るとそれが唯一の今回の旅の失策。
成田からはJALでパリまで、二人の席に一人。ゆっくりと、ウトウトしたり、ビールやワインをいただき、遠藤周作の『侍』を読んだり、またウトウトしたりをくり返す。
ド・ゴールに着く前には吉野家の牛丼セット。ま、JALもなかなかのモンやな?
16時半頃にパリ着。エールフランスバスはラッシュに当たり、ようやく19時過ぎにオーストルリッチ駅の近くの宿に着く。空港からはRERで北駅に行き、地下鉄での方が正解だ。
風呂に入り、持参のイモ焼酎のお湯割りを飲み、明日のゴルフに備え、21時過ぎに寝てしまう。
4時頃目が覚めて、6時前に起きる。
ひげを剃り、サンドイッチにコーヒーの朝めし。7時過ぎに出かけ、リヨン駅まで歩きRERのA1でサンジェルマン・アン・リーへ。切符は4.35ユーロ。サンジェルマン・アン・リーからタクシー17ユーロでFourqueux。
フォークエスは静かな森の中のコース。アップダウン、ドッグレッグもあり、変化に富んだホールが多い。
距離は長くはないが、しっとりとしていて、メンバーシップのコースらしい風格がある。年配の人や女性(マダム)仲間のゴルファーも多く見られた。一人でゆっくりとまわる。
プレーフィは電動のトロリー(カート)込みで65ユーロ(約7,850円)。
黄色のティーからBlanc(白)コース2,627m・P36、Bleu(青)コース2,938m・P37 トータル5,565m(6,122y)・P73
コースレートは70.4 スロープレートは129。
曇り空ながら、そう寒くもなく、パリ郊外のフォーレストコースをのんびりと楽しむ。Blancは短いが変化に富んでいる。43とまあまあであったが、Bleuでもたついたりして46。ま、何とか89でとどまった。フェアウエーは柔らかいが、グリーンは遅そうに見えて案外にも速い。
1時過ぎに上がり、タクシーで駅に戻り、ハイネッケンを買い込んでRERに乗り込む。
ホテルへ帰り、ゆっくり風呂に入って、メトロでかねて目をつけてあったシャルティ(ビストロ)へ。食べ、飲み終わって近くのマドレーヌへ次女に頼まれたマロングラッセの店へ行くもしまっていて、キヨスクの兄ちゃんに聞くと閉店したとのこと。友人のHに電話をする。明日3時半、メトロのポルト・シャンペーレのホームで待ち合わせ。
きょうは1日パリ散歩と友人とアートフェステバル風の展覧会へ。
まずポンピドーへ出かけるも、ルネ・マルグリッド展でわたしはちょっと好みではないのでパス。近くでコーヒーを飲み、ショップでカレンダーを買ってコンコルドへ。
オランジュリーで1930年代のアメリカの絵画展を見る。もっと素朴なのもが並んでいるかと思ったが、案外にバタ臭く、むしろアメリカの苦悩みたいな物の萌芽が感じられた。常設のセザンヌ、スーチンなどに感動する。
すぐ前のレストランで昼飯。フィッシュアンドチップス(上品!)、オニオンスープとワイン2杯(17.5ユーロ)で少し酔いが回る。
それはそうと、ポンピドーのブックショップでデ−ビッド・ホックニーの大きな画集があり、恥ずかしながらこの作家を知らなかったが、なんとまあ、すばらしい!人をほのぼのと楽にさせる愉快な風景画や静物など。
その後、ポルト・シャンペーレへ。一大集合展ではあるが、これ見よがしの才能比べが多く、目立たないことの素晴らしさ(私の好きなモランディ、ポリアコフなどなど)、何も描かない作品が全くないのが残念に思った。友人Hと日本や韓国からの画学生の女性とお茶を飲みながら話すも、私の「いいものは、静けさが必ずある」という説にうなずいてはくれなかった。
アクションペインティングとされるポロックにもマーク・ロスコーにも、ジャコメッティにも私は静けさを感じる。
今日はおなじみのGolf de National。
ずっとチャンピオンコースのアルバトロスばかりだったので、一段平易なイーグルコース。スタートはあらかじめはWebでとってある。(休日で60ユーロ)
オーストルリッチからRERでサン・カン・タンまで直通があるのだが、休日と言うことでメトロでイタリー広場を経てモンパルナス。そこからSNCFの近郊線でサン・タン・カンへ。サン・タン・カンからはタクシー(これも17ユーロ)。7時30分頃に出て近郊線の乗り換え駅を乗り過ごしたり、迷い迷いして10時頃に着く。スタートは10時10分などで大慌て。二組あとのおじさんと二人でまわる。
距離はあるが穏やかなコース。アップダウンがあるが丘の上のリンクスという感じで少し平凡かな?という面もある。の~んびりとしたホールも多い。
一緒にまわったフランスのおじさんは、歳は同じくらいかちょっと若いかな。しかし、私の方がドライバーは飛ぶ。ま、この日はドライバーの調子が悪くなかったので……。
晴れときどき曇りで少し冷たかったがセーター一枚で充分。嫌みのない自然なコースだが、前半は打ち上げのアプローチで距離を間違えたり、グリーンの速いことに戸惑ったりしてボギーペースで散々。後半は何とか42とねばる。
イーグルはアルバトロスに比べるとやっぱり格段に穏やか。トーナメントコースの凄みみたいな物はない。
3時20分上がる。
5時前ホテルに帰り、風呂。
近くのミニスーパーでチキン、バター、ワイン(ボルドーの赤で9.9ユーロでこれがまたうまい!)、バゲット、リンゴ、ビールも買ってゆっくり晩飯。遠藤周作の「侍」の続きを読みながら9時頃寝てしまう。
早くに目が覚め、荷造り。
持参のご飯を温め、ツナ缶で朝飯。
オーストルリッツ駅からモンパルナスへ。6番ホームから10時23分発のTGV。車内でワインを買い、ゆっくり居眠りなどをする。16時36分着のはずが40分ばかり遅れてバイヨンヌ(Bayonne)。TGVはWebで買って、31ユーロと案外に安い。駅前のコート・バスクというホテルへ。
さっそく旧市街の方へ大きな川の橋を渡って行ってみる。大きな川はアドゥール川で橋のすぐわきでニーヴ川と合流している。司馬さんの本に出てくるポルト・ヌフのレストランを探してみたが、どうやら今はなくなったしまったようだ。時間つぶしに大聖堂に入る。ゴジックの古い聖堂で、中程度の大きさ。派手なところは全くない。
街をぶらつき、駅前に戻って駅前食堂。スープとダックの定食、ワインハーフボトルで18ユーロ。
さて、今日からはバスクめぐり。
ホテルで朝食を済ませ、まずはバスク博物館へと思うも開館は10時半からとか。仕方ないのでまた街歩き。チョコレートが名物とかで、歩き方にココアの名店が紹介されていたので、行ってみたが、ま、なんだな。やっぱ、ワシには合わないなと実感。
しっかりバスク博物館を見る。館長さんらしい方が、握手で迎えてくれて、日本語の説明書などを貸してくれる。なるほど、海バスク、山バスクの雰囲気の違いや、海に出たバスクの人達の活動ぶりなどがよく分かる。
昼前に駅前でレンタカーを借りだし、サン・ジャン・ピエ・ド・ポールへ向かう。
サン・ジャン・ピエ・ド・ポールはピレネーの麓の美しい小さな町で司馬さんの「南蛮の道」に詳しく紹介されているスーヴール・カンドー神父の生まれ故郷。フランス側の山バスクの代表的な山里である。ここでの紹介は省きますが、「南蛮の道Ⅱ」やカンドー神父の著書(ほとんどが絶版なので図書館で)などを読んでみてください。
MAISON GANDAUへ聞き聞き行くも、それらしい標識はない。が、司馬さんが驚いていたSt, Francois Xavier(サンフランシス・ザビエルの父方の祖父の家の看板は確かに見つけることが出来ました。
しっかりと小さな町を歩き回って、路地の一軒で昼飯。スープ、チキン、デザート、コーヒーの定食(12ユーロ)。おじさんばかり8人のグループが食べまくり、美味そうにワインを飲みまくっているのを横目で見ながら……!隣のポーから来たという一人旅のおじさんにポーやサンセバスチャンの話を聞く。そういえば、このおじさんもいっぱいだけワインを飲んでいた…!
ゆっくりして、ポーへ。
ナビに従って市街の中心当たりに入ろうとしたら、道にポールが立っていて入れない。道路パトロールカーのおっさんに助けられてホテルに到着。公共の駐車場に入れ、スーパーで買いだし、インスタントラーメン、ワイン、ビールなど。ここでも9時過ぎに寝てしまう。
朝飯は夕べ買い出した材料でハムエッグ。車に荷物を入れ、ポーを散歩。
ますは、ピレネー大通りからの眺めを確かめる。大聖堂に入って、その名もPAU CAFEというコーヒー専門店でひと休み。駐車場の近くでプラ・デ・ジュー(昼定食8.6ユーロ)。
ポー散歩を終えて、バイヨンヌへ。レンタカーを返して、16時34分の電車でスペイン国境のヘンダイ(Hendye)へ。スペイン側の近郊線に乗り換え、サンセバスチャン(スペイン名ドノステア)。
ホテルに荷物を置いて、さっそくバルめぐり。さあ、ピンチョスとリオハワインや!
ピンチョスとはパンの上に海鮮物や加工した肉類などをのせ、あるいは果物や野菜が載っている物もあり、これがまあ、リオハのワインにピッタリ。お客はビールを飲んだり、白や赤のワイン、シーダー(リンゴ酒)などを1杯か2杯楽しんで、次の店へ向かう。ピンチョスは指さしで、ワインは「赤(チント)」とか「白(ブラン}!」と叫ぶだけで最高のリオハが出てくる。なれない客にはその都度伝票が出るのでその場で支払う。
宿でくれたお勧めのバルを記したプリントを参考に、店構えなどを見ながら三軒ばかりまわったらすっかり酔っぱらい。どこの店もお客で1杯なのでくたびれてしまった。ゆっくり座れる客の少なめの店でコーヒーを飲んで帰る。
旧市街のホテルから新市街の少し離れたレンタカー(ヨーロッパカー)までタクシー。9時からの営業に少し早めに着いてしまい。近くのカフェで朝めし。
車を出してレアル・ヌーボーゴルフクラブへ。
このコースの正式名称は、ザ・リアル・ヌーボーゴルフクラブ、サンセバスチィアン・バゾザバル(The Real Nuevo Club De Golf De San Sebastian Basozabal)という長い名前。
サンセバスチィアンから約5㎞。電動カート込みで81ユーロ(9,500円程度)。おじさんカップルとその友人のおじさんといずれもこのコースのメンバーと4人でまわる。
コースは息をのむくらい美しい。とくにうねりがあって、その陰影がえもいわれぬ起伏のニュアンスを出している。景観にあいまったレイアウトもコースのおもしろさを作っている。変化がありベリーナイスなコースである。コース設計はホセ・マリア・オラサバル。黄色のティーからアウト2,957m、イン3,063m、6,020m(6,622y)・P72。
カップルの友人のおじさんは10番を過ぎたあたりで、用があるそうでホールアウト。しかし、このカップルは大変お上手でおじさんは私の判定ではハンデ6くらい、奥さんの方は10くらいかな?というところ。私の方は前半コースに飲み込まれた感じでミスばかり。後半は何とかボギーペースを守ったという感じ。
しかし、この日は大変暑く、写真のようにおじさんは半袖。わたしはしっかりとキルティングのズボンにヒートテックのシャツを着てセーター。ぐっしょりと汗をかく。が、これからパンプローナ、ブルゴスでもラウンドというと、ブルゴスは寒いよ!となぐさめ?られる。コースを知らない私にアドバイスをしてくれて、ボールもあきらめていたわかりにくいところのも探し出してくれて、ともかく、感じのいいカップルでした。感謝!
10時40分スタートで14時40分頃ホールアウト。顔を洗って、コーラで一息つき、コーヒーを飲んで昼めし。
サンセバスティアンに戻り、宿の近くの駐車場に車を入れ、とりあえずシャワー、缶ビール。6時前から前夜に続いてバルめぐり。
朝、ラーメン。大聖堂に行くも10時30分からとかで、近くのカフェでコン・レイチェ(ミルク入りコーヒー)とオレンジジュース。海が美しい海岸を歩く。
車を出して、ビルバオに行く途中のゲルニカへ向かう。
12時過ぎに着いてゲルニカ平和博物館に行くも昼休みで午後の開館は4時からとのこと。ゆっくりレストランで昼飯をし、スーパーや町を見て歩く。
平和博物館は1937年、スペイン内戦中、フランコに与するドイツ軍によるゲルニカ無差別攻撃の悲惨さを残す戦争博物館で、有名なピカソの絵で知られるところである。
瓦礫や歴史の背景の解説などが2階にあり、ピカソのゲルニカの複製と解説は3階。
解説によると、このナチスドイツによる都市攻撃は、史上初の都市無差別攻撃で、2,000人以上が殺戮されたという。ピカソがこれに怒り、大作ゲルニカを制作。
作品は一時アメリカに渡っていたが今は返還され、マドリッドのソフィア王妃芸術センターで見ることができる。
ゲルニカ平和博物館を訪れた人のノートがあり、岐阜からの夫妻も(かなりの年配の方のようで)空襲の経験が書き込んである。わたしも 「No! More War! No! More Atmic Bomb! No! More Nucler!」と書き込んだ。
ゲルニカは美しい山間の町で、公共の無料駐車場のある丘にヘンリー・ムーアやリチャード・セラの彫刻などがある美しい公園を歩く。
ゲルニカからビルバオへは約35㎞。予約してあったイビス(ibis=ビジネスホテルの大チェーン)へ。
旧市街のバルにいってみようとするも、よく分からず、なんだか怪しい雰囲気なので、タクシーで「歩き方」に載っているバルへ。ここは有名らしく超混み混み!人、ひと、ヒトで外でまでピンチョスを片手に飲んでいる。12月に入るとクリスマス気分で、町の電飾も派手に輝いている。聞き聞き歩いて帰る。
今日はグッゲンハイム美術館。
今ではビルバオは北スペインにとどまらず、ヨーロッパの金融や商業の拠点となったいるが、この美術館は戦後、さびれていたビルバオの復興を願って美術の町にしようとニューヨークのグッゲンハイムの分館としてアメリカの建築家、フランク・ゲーリーによって作られたもの。
ユニークな設計の美術館であるが、まずは1階に入るとリチャード・セラの超巨大鉄板アートが度肝を抜く。当日はフランシス・ベーコンの特集をしていて、シュールとリアルな写生の描写とも言える、一見奇異な感じだが、見ているとマジメな一面が見えてくる。常設のピカソ、レジエ、フォンタナ、クレー、カンデンスキーもいい物がある。
しっかり見終わって、歩いて旧市街へ。「歩き方」に載っていた〝Rio Oja(リオ・オハ)〟に行く。
ここもすごい人気店らしく、混み混み。パエリア、ムール貝、煮込みなどが大皿に並んでいて、頼むと温めて出してくれる。
イビスで朝めしを済ませて、200数10㎞離れたザビエル城へ。ここはパンプローナから50㎞ばかりのところ。
ザビエル城は博物館になっていて、フランシスコ・ザビエルの生涯、特に日本での状景が多く展示されている。
フランシスコ・ザビエルのことは、司馬さんの「南蛮の道」に詳しく、ロヨラとの経緯やイエズス会の設立、パリでの学生時代など大変面白く描かれている。生まれ育ったこのお城を巡っているとザビエルのすごさ、強さ、哀しさがよく伝わってくる。
パンプローナへ向かい、ホテルの近くに車を置き、荷物を置いて町へ出る。まずは、ヘミングウエーの「日はまた昇る」に登場するカフェ(大きなレストラン風)でちょっと遅めの昼飯。
牛追いまつりで有名な町だが、普段は全く静かな町でぐるっと一巡りしてホテルへ帰る。6時30分頃、シャワーしてのんびり過ごす。
朝めしは昨夕、近くのバルでテイクアウトしたクロワッサンやジュース。ホテル横の駐車場から車を出して、パンプローナのゴルフコース、カステロ・デ・ゴライズへ。
このコースは、スパホテルなどがある大きなリゾートにあり、1995年、Cabell B. Robinsonという人の設計でプジョーゴルフガイドでは16/20の評価を受けている。黄色ティからアウト2,899m、イン3,108m、トータル6,007m(6,607y)・P72。コースレートは72.1、スロープレートは134。グリーンフィは30ユーロ、電動カートが12ユーロと嬉しいお値段。
コースは住宅地にも囲まれた高台にあり、アップダウンもしっかりある。
スタートの一番は広々とした打ち下ろしで、ゆったりと左へ曲がっているが、あまり距離もなく、難しい感じはない。所々に長大なショートホールがあり、大きく打ち下ろしになっていたりするのでユーティリティーで思いきり打つとちゃんと乗っていたりして、快感もいただけるコースである。9番ロングでバーディーで40。後半は平凡な44で84。
雄大なところも数々あり、池が絡んだ面白いホールもあり、楽しめるコースである。
9時過ぎにスタートし、12時30分頃上がる。
持参のパンやバナナを食べてブルゴスへ向かう。ブルゴスまでは230㎞。
ブルゴスはパンプローナからリオハワインの中心地、ログローニョを経て、マドリードへ行く途中の町。ここはもうバスクではなく、カステーリア・イ・レオンという地方になる。
11世紀のフェルンンド一世の頃がブルゴスの最盛期で、スペインの三大ゴジック大聖堂のひとつがここにある。
4時過ぎに市内中心部のホテルに着き、近くの公共駐車場に車を入れ、さっそく大聖堂へ。まあまあ、スゴーイ!カテドラルである。
町の中心をアルランソン川が流れていて、古い町らしく観光客も多い。歩き方に出ていたレストランは8時半からとのことで、宿で教えてもらったMORITOというところに行くと、ちょうど開店の時ですんなり入って椅子に座る。が、すぐに店はあふれるような人で満員。ラッキー!
ビールを飲み、「ブランッ!」と叫び白、「チントッ!」と叫び赤を注文してしっかり頂く。
ホテルにバスタブがあり、久しぶりにどっぷり、ゆっくり湯につかる。やっぱ日本人はお風呂やな!
このホテル、安いがバスタブのあり、かなりショボイが朝飯もついている。小さなパン二つとチーズを包んでチェックアウトしてゴルフコースへ。
ブルゴスに泊まったのは、この45㎞さきにあるレルマというところのClub de Golf de Lermaというプジョー評価17/20のコースを目指してのこと。
レルマコースは1992年、Jose Gancedoという人の設計。大きく開けた大地に雄大そのもののコースを展開している。グリーンも速く、フェアウエーもグッド。
バックからは7,000ヤードを越えるが、黄色からはアウト2,903m(3,193y)、イン3,071m(3,378y)、トータル5,974m(6,571y)P72。グリーンフィは電動カートを入れて77ユーロと少し高い。
1番から518m(570y)・P5とたっぷりの距離。1Wナイス、5Wナイス、6アイアンは少しショートして56°で2パット。ボギーの出足。2番の377m(414y)P4もまさに雄大。1Wナイス、ユーティリティー・ナイス、が、3パットのボギー。ボギーで頑張っていればよいのだが、ダボもあり47。インはどうにか粘ったつもりだったが、上がってみれば44で90をオーバー。
しかし、何度も言うが、「まったく凄いナーっ!」と感心するほど大きなコース。マドリードからは相当離れてはいるが、一度は行ってみてもいいと思います。
レルマの村でひと休みして、マドリードへ。230㎞を走って夕刻、アトーチャ駅の近くのホテルへ着く。
地下鉄でプエルタ・デル・ソルへ。歩き方に載っていたムール貝屋さんへ。ま、どうということもなく、ビールと白ワインを一杯飲んで、サンミゲル市場へいき、小さな肉と赤ワイン。隣の小さな男の子と女の子を連れた家族連れとマラガから来たというので、一度しか行ったことはないが、セマナサンタやピカソ(生まれ故郷)の事をしゃべっていると、反対側にいた娘さんたちのグループまで話しに加わってきて、「京都ってどんなとこ?」とか、日本の食べ物のことを聞いてくるので、「プリーズ ケム トウ ジャパン! イッツ イズ シュワー!」などと、まったくいい加減な英語で楽しく談笑。「ああ、日本にもいい加減な爺さんがいるのだ」と思われたことだろう。この都心もクリスマスが近いとかで人、ひと、ヒト……!
ホテルの下のカフェで簡単な朝飯。
10時からのプラド美術館へ。16世紀のヤニ絵はパスしてボッシュ、ベラスケス、ゴヤをしっかり見る。
私の好きなゴヤの「裸のマハ」と「着衣のマハ」が並んでいるが、「裸のマハ」の方がパースペクティブ(遠近法)がしっかりしていて、空間が広がり落ち着いていて静かなときめきもある。見ていると、シンとしたものが感じられ、「やっぱ、いいものはやはり静かだ」。少し離れたところにやはり、ゴヤの『フリンシベ・ビオの丘での虐殺』という絵がある。これは1808年5月3日、市民の暴動を鎮圧するためにフランス軍はエジプト軍の親衛隊を雇い、この丘で400人を越える市民の処刑をおこなった。そのことの怒りを、ゴヤが1814年に描いたものである。絵描きとしてこれを残して(描いて)おかなければ!という、ゴヤの意気を感じる。芸術というのはやはり、真理を追究する仕事なのだ!と、嬉しくなる。
司馬遼太郎さんの『南蛮の道Ⅱ』に連れられて、バスクへの旅も終了。買い入れたリオハのワイン8本をトランクに詰め、重たくて液体でないものを手持ちにし、ゴルフバッグを荷造りして、早朝の霧の中をマドリード・バラハス空港へ。大きすぎてわかりにくいターミナル4のパーキングのヨーロッパカーに車を返して、10時30分ヘルシンキへ飛び、中部セントレアへ。