かつて、ヨーロッパの美術館を食い入るように駆け巡った頃を思い出し、29年ぶりに南フランスに行ってみました。
あの頃には思いもしなかったゴルフを楽しみながらの旅です。
ついでに、3年ほど前に初めて訪れたリスボンも訪ねました。
中部セントレアからヘルシンキを経てパリへ。
フィンエアの追加手荷物(ゴルフバッグ)の料金はネット予約で6,740円。ただし、復路のリスボンからヘルシンキはポルトガルエアのコードシェア便なので、ネットからの予約はできないとのこと。現地でチェックインの際、お支払いくださいといわれる。ま、いまどきなんぼエコノミーでも20キロまでというのはきつい。2月にタイへで利用したベトナム航空は40キロまで、日本航空では23キロを2つまでオーケー。機材の性能も良くなっているのだし、フィンエアさんちょっと考えてください。
ヘルシンキまで、ビール、ワインなどをしっかりいただいてのんびり。しかし、ヘルシンキからパリまではコーヒーやジュースは無料で、コーラが3ユーロ!3時間も乗るんやから、少し考えて、軽食くらいは出してよ。
で、ドゴール空港からエア・フランスバスで(これも17ユーロと高い!)。午後9時、イタリー広場の個人の部屋を貸し出しているアパートへ。おばさんがアパートの前で待っていてくれた。
ただし、ロケーションは最高で、メトロやバスにも近く、下はFNACや大きなスーパー。
ゆっくり起きて、昨夜下のスーパーで買いだしたパンやオレンジジュースなどで朝食。
今回は、レンタカー用に日本でガーミンのポータブルナビとヨーロッパ地図を買い込んできたが、試しに下のFNACで見ると、ガーミンは139ユーロからでTOMTOMは99ユーロから。
ちなみに私のは日本用で本体が16,000円で追加のヨーロッパ地図が14,500円。計30,500円。139ユーロだと140円として20,000円足らず。但し、案内の音声は私のは日本語、こちらはフランス語か英語。しかしまあ、ナビがあるのはホントに楽。昔は地図とにらめっこをしていたのが信じられない。よくまあ、あれでどこへでも行っとったなあ~!という感じ。
バスでサンミッシェルからオデオンを歩き、昼前、パン屋の店先でサンドイッチにハイネッケン、コーヒー。バスでオルセー美術館へ。
ボナールの特別展をやっていて、私としてはあまり尊敬はしていないのだが、せっかくだからしっかり見る。
ピエール・ボナールは1867年生まれ。印象派を過ぎて、ナビ派と呼ばれるフランスの画家。アカデミー・ジュリアンからエコール・デ・ボザール(官立の美術学校)出身。
あまり、すごいとは思わないが、色の人、うまくない人、不器用な人だと思う。しかし、日本美術が好きで、日本の日曜画家にもファンが多い。
オルセーに来るとゼッタイ立ち止まり、涙ぐんでしまうゴッホ。左は昨秋訪れたオーベル・シュル・オワーズの教会、右は晩年の自画像。
すごい、すごい!私はゴッホ最後の頂点と思う。まさに命の極み!
オルセーは目指したものだけを見るのだが、それでも力が入りすぎて、まったく疲れる。
メトロを乗り継いでポンビドーへ。バスでイタリー広場へ。夕食をどっかで食べるのが面倒になり、スーパーでビール、ワインなど。
そうそう、朝FNACにあるSNCF(フランス国鉄)で、明日のトウールーズ行きの切符を買う。TGVは満席で、インターシテーの一等しかなく、なんと130ユーロ!
SNCFにはネットもあり、そこから申し込めるが、どうもクレジットカードの対応がイマイチで私のカードのどれも受け付けられなかった。(そんなコメントが他にもありました)。SNCFさん、調べてみてください。
バスでオーストルリッツ駅へ。
インターシテーはほぼ満席。子供2人を連れたお母さんと同部屋。まあ、よくしゃべり、やかましい親子。14時16分、トウールーズ着。ヨーロッパカーでFIATのレンタカーをチェックアウトし、持参のナビをつけてアルビへ。高速で1時間少し。アルビの町に入ったところのスーパーで水などと、この地方のロゼを仕込みホテルへ。アメリカでいうモーテルのようなホテル。清潔で快適なのだが、冷蔵庫がなく(どこもアパートメント以外はない)食堂のおばさんに氷をもらって、ビール、ワインを冷やす。
あすのゴルフを考えて早めに寝る。
早く起きて部屋で朝めし。
ゴルフコースまでは10分ばかり。8時に行くと、10時までスタートできないという。しかたがないのでハーフだけの料金を払いグリーンで練習をしていたら、「1人かい?一緒でいいよ」といってくれる3人組が居たので、あわてて18ホールの料金を払い直してスタート。
いい雰囲気の静かなコース。
長いのもあるが短いミドルも多い。グリーンの速さも適当で、芝はGood!
1989年、設立で、プジョーのランクは16(20が満点。ちなみに今年の全英オープン開催コース、セント・アンド・リューズオールドコースは18)。黄色(レギュラー)から5755m(6,273ヤード)。グリーンフィ70ユーロ。
2人のおじさんと1人のおばさんで、おじさんたちはホールマッチのナッソーをしているらしく、ときどきグリーン上でどちらが先かをただしたりしている。(おばさんがよく冷やかしている)
年は私(72才)とそう変わらないようで、ドライバーは私の方が50ヤードほど飛ぶが、アプローチ、パットはなかなかうまい。
グリーンをよく知っていて、2人ともあまりしゃべらないが、少しも不愉快なところがない。
1時前にあがって、顔を洗い、アルビのロートレック美術館へ。近くのレストランでオムレツ、コーラ、カプチーノ。
29年ぶりのロートレック美術館はあまり変わってないが、以前は覚えがない庭が美しく整備され、 Tran川の風景も変わらない。
絵の方は、あまり覚えてなく、少年の頃から天才的にうまいのに驚く。しかも、ずーっと(パリに行ってからも)ひたむきでマジメを貫き通した姿に感動する。
トゥルーズ・ロートレックはこの地の王族の生まれで、幼い頃は「プチ・ビジュー(小さな宝石)」と呼ばれたが、けがや病気で足を悪くし、大きな体にはなれず、母がいつも(パリへも)一緒に付いていたとのこと。
子供の頃の父(アルフォンソ)の像や、鷹狩りの情景、長じてからの母をえがく絵に優しさが溢れて印象的だ。
パリではオランダからのゴッホと出会い、親交。貧しい牧師の子と王族のちょっと不遇な若者の出会い、そして、ロートレックは貧しきものへの情愛のこもった作品に傾いていく。
美術史に残るような人は、みな命がけ。金のためや名声のためというところが一切ない。また、「ゲイジュツ!」という、芸や術といった邪悪なまやかしなど全くない。
庭を歩き、大聖堂をちょっとだけ覗き、駐めてあったパーキングから出て(2時間2ユーロ=280円)カルカッソンヌへ。
カルカッソンヌへは、途中のカストルあたりから山道に入る。車にもあまり出会わない山道で、このナビ、距離だけで細い道を選んでいるようだ。
4時すぎにアルビを出て、7時前ようやくカルカッソンヌの町外れのホテルに到着。
チェック・インの際、よく聞き取れず、朝めしを予約(10ユーロ=1400円)してしまい、ハム、コーヒー、パンや果物など定番の素朴な朝食。パンで昼飯用にサンドイッチをつくり、リンゴとバナナをテイク・アウト。
29年前には、夕方にカルカッソンヌの城塞を見たが、今日はカンカン照り。ただただ、「すごーい!」と感嘆するばかり。
昼ごろ城塞を出て、ナルボンヌまでは高速を行き、セトで降りて、地中海の海縁を走る。が、あまり美しい海岸ではなかった。
昨日予約したニームのB&Bへ。
2時ころ着いて、市内を散歩しようとしたが、日曜日のチェック・インは5時からと玄関の扉に張り紙。インターホーンで玄関のパスワードを教えてもらい、荷物をロビーにおいて町に出かける。が、日曜日でどこも休み。小さなスーパーでビール、ワインなどを買い、持参の御飯をチンし、親子どんぶりの部屋めし。
ニームという町は、古代の大きな競技場などがある古い町ではあるが、そう取り立てて行かなければならない町でもない。
ただ、ゴルフファンにとっては、Nimes-Campagne(ニームスーキャンパーニュ)というプジョーランク17のコースが引っかかる。
ゴルフ・ニーム・キャンパーニュは1968年設立。黄色からアウト2,800m、イン2,735m、5,535m(6,034ヤード)パー72。
格調のあるパークランドコースで、長短のコース配分が絶妙。フェアウエー、グリーン共にベリーグッド。フランスのどこかから(聞いても私の知らない町でした)3週間のバカンスおじさんと2人でまわる。
8時スタートで、1番は広々としたミドル。おじさんはダボペース、私はボギーペース。インに入って調子よくパー、パー、ボギー、パー、パーといくが、15番でトリでようやく90を切った次第。天気もよかったが、これがフランス?というような暑さ。しっかり水分をとりながら名コースを楽しむ。
12時前にあがり、アヴィニヨンへ。
アヴィニョンはさすが南仏有数の観光地。人、人、人……!
当方、観光にはあまり興味はないが、せっかくだからと王城とアヴィニョンの橋にいってみる。王城はどこか昨年に行ったプラハのお城に似た雰囲気。ま、ヨーロッパのお城って似とるよな。
アヴィニョンから30分ばかり東に行ったカルパントラという所のホテルへ。なんでこんな田舎の中途半端な町にというと、アヴィニョンのホテルは高く、あす、フランスの美しい村100選のゴルドやボニューを経てエクサン・プロバンスにいくのに便利なところ。
久々に近くのピザ屋(イタリアン)でビール、ワインなどでうまい外食。が、このホテル、安いけれどバスタブがあっていいのだが、冷房がなく暑い。風呂に入って裸で寝てしまう。
今日はCarpentrasカルパントラから美しい村、Gordesゴルド、Bonneuxボニュー、Anscouiesアンスイを経てエクサン・プロバンスへ。
が、最初のゴルドはここも人、人、ヒト……!
石造りの村の中央広場はぎっしりと露天が埋めていて、村の路地にも人の波。ヨーロッパのバカンスってこれなんや!と妙に感心してしまう。
ゴルドをあとに、ボニューへいくと、ここは閑散としていて、田舎の村ののんびりした雰囲気。が、べつに何と言うこともなく、このあと予定していたアンスイをパスしてエクサン・プロバンスへ。
エクサン・プロバンスはさすが都会で、そう大きな町ではないがオシャレな感じが漂っている。ホテルの近くの公営駐車場へ車を止めて、荷物を運んでゆっくりする。ここもバスタブがあってまずはお風呂。すぐ前が大きなスーパーで後ろが市街地。明日の予定のセント・ヴィクトワールゴルフクラブへ予約の電話。8時過ぎのスタート。
セント・ヴィクトワール山というと、セザンヌのファンなら、「ああ、あの山な!」と八重洲のブリジストン美術館のあの絵を思い出す方も多いはず。
その山の絵はエクサン・ブロバンスのアトリエの近くからの山の姿で、実際は台形の長い山を横から眺めたもの。全体の姿は上の写真のように平べったい山。岩山であることに変わりはない。
そのエクサン・プロバンスから16㎞のところにあるのが、1985年、私の好きなロバート・トレンド・ジョーンズのジュニア設計のこのコース。
黄色のティーからアウト2.953m、イン2.563m、5.516m(6,012ヤード)。
私と同じような年頃の地元のおじさん3人組と8時過ぎスタート。
おじさんたちは2人は担ぎ、1人は電動カート。私はプルカート(手引きカート)。
フェアウェー、グリーンともベリーグッド。
眺めは文句なく美しいが、アップダウンが案外きつく、疲れる。バギー(乗用カート)もあるが乗っている人は見かけなかった。
スケールもあり、T.ジョーンズ系そのままで、まったく嫌みなく、いいコースを堪能させてくれる。しかし、暑く、2リットルの水を飲み干してしまい、へとへとでホールアウト。
顔を洗って、テラスへ行くと3人のおじさんが「こっち、こっち」と呼んでくれるが、「たばこを吸いたいので、こちらに座るよ」というと、「いいから、こちらでビール飲みなよ」で、生ビール小。「う~ん、うまいっ!」と笑いあう。「写真撮ったから、送るわ」というと、それぞれメールアドレスを書いてくれる。しばらく、セザンヌのこと、エクサン・プロバンズの四方山話、ゴルフ談義をして、ビール代を払おうとしたら、「ジョーダンじゃない、いいから、いいから、せっかく我がコースを楽しんでくれたんだから」と、ごちそうさんでした。
(─後日談=書いてくれたアドレスへメールで写真を送ろうとしたが、1人をのぞくスペルが読めず、うまく送れなかった。「あとのお二人へ、渡しといて」と書き添えてごまかしました。)
再び顔を洗って、ホテルに帰り、シャワーをしてセザンヌのアトリエへ。
前に来たのは1986年。29年経ち、その時はスケッチしたりしてしっかり覚えていて、その時、どんな風に感動したかも覚えていたが、久しぶりのせいか、なんだか違う。どこがどう違うのか(ま、絵の素材や道具の置かれている位置が違うが、北向きの天井までの窓とか壁の感じは変わっていない)、感じを保つため少し、少し、手入れをしていて、セザンヌの臭いが薄まっていっているのかも知れないかな?昔はなかったチケット売り場があったり、そう多くはないが、観光客がいるせいかもしれない。ま、自分も変わったんだろうなとも思う。
ホテルに帰り、すぐ裏手にあるグラネ美術館へ。
そう期待はしていなかったんだが、セザンヌの初期のいいものがあり、レジエやモランディーまである。小ぶりながらジャコメッティの部屋もあり、フォートリエもいい。アンディ・ウォーホールなどのアメリカの現代展をやっていて、なかなか見応えのある美術館でした。
昨夜は、ゆっくり寝て、市営駐車場から車を出し、マルセイユへ。
マルセイユはずいぶん近代化され、町の様子が変わったということで、その代表が中心部の海辺のショッピングセンターということなので、寄ってみる。
規模が大きく、デパートはプランタン。あらゆるブランドの店もあり、ユニクロ(日本の価格より少し高い)まである。スポーツグッズも揃っているが、なんとゴルフグッズがない。これはアカンわ!
パリのFNACで見た、ナビのガーミンは99ユーロからある。
サンドイッチとコーヒーを飲んだだけで、港を素通りしてカンヌを通りアンチーブへ向かう。
ピカソ美術館はパリにもバルセロナにもマラガにもあるが、ここアンチーブはピカソが1946年、アトリエを構えた城砦を後に市立美術館としたもの。
作品のほとんどは1946年9月~11月のもので、飛んでくる鳥、海辺のさまざまな生き物。万物の命の輝きを、センス、才能、至極の手の動きで描きまくった作品群。妻ジャクリーヌと共に過ごした至福のひとときの記録でもある。しかしまあ、素晴らしい手の動き、躊躇なくどんどん、どんどん書き殴るように筆を進める力。じっくり考えない力。そこにある命をあるがままに捉える力。まあまあ、すごいなあ~!まさにテンサーイだよ。
「すみませ~ん、閉館で~す」といわれるまで、のんびりとテラスで過ごし、渋滞の中をニースへ。8時過ぎにホテルへ。
昨夜はスーパーもお店も9時をまわると閉まってしまい、しかたなくピザを買い、しょぼいコンビニみたいな店でビールを買って、しかし、ゆっくりしっかり寝る。
今日はのんびりニースをぶらつく予定。
まずはホテルの前を走るトラムの停留所で自動販売の一日券を買い(5ユーロ=700円)、シャガール美術館へ。
シャガールは1887年帝政ロシアの現在はベラルーシ・ヴィツニブスクという所に、東欧系のユダヤ人として生まれる。
ロシアの美術学校にあきたらず、1910年パリに出て、再び故郷に帰り、1923年2度目のパリ。同郷の妻ベラをこよなく愛し、アバンギャルドや立体派を経て「愛の画家」と呼ばれるロマンチックな画風を生涯貫く。第二次大戦時にはナチスの迫害を恐れて1941年、アメリカに亡命。その地で愛妻ベラを亡くしている。
1950年からは南仏のサン・ポール・ド・ヴァンスに移り、再婚し、1985年、98才で亡くなるまで住み続けた。
シャガールはわりあいに若いころから売れっ子で、この頃の画家としてはまれに見るラッキーボーイでもある。
モチーフ(絵の主題)に聖書、愛。いわゆる快い絵の画家としてアンドレ・マルローなど、支持者を多く獲得したことからで、パリのオペラ座の天井画やマルローの尽力で1973年にここニースに国立の個人美術館が設立されたことなどに拠るところも多い。
おもしろいのは、同じ売れっ子同士のピカソに対してはかなり批判的な発言を多くしている。(ピカソからの反論はほとんどない)。
同世代の二人を比較し、育ち、仕事に対する考え、取り組み方、女性観、交友関係などを探ってみると、まことにおもしろい。
ゆっくり見て、バスでマチス美術館へ。しかし、暑い~っ!
こちらも29年ぶり。
作品の数はしっかりあり、クラシックなヤニ絵から出発し、自由、自由へ。見るものを楽にする。しかし、やはり初期の絵のデッサン力の確かさに驚く。この描写力があってこそ、新しいを求めて進むことができるのだ。
肩肘張らず、楽に楽に、自由に自由に。抽象的なアンフォルメルに近いものもある。
絵や芸術と呼ばれる世界では、新しいとか、時代とかが論じられることが多いが、「時代ってなんだろう?」「必要かな?」という気になる。
バスでニースの海岸通り、プロムナード・デ・アングレ(英国人の散歩道)へ。海水浴場を眺める。
再びヴァンスへ。
ロザリオ礼拝堂は簡素なお堂。ゆっくり見るも小さなもので、そう時間はつぶせない。
時間つぶしのつもりで、美しい村としても有名なサン・ポール・ド・ヴァンスへ。ここにはマーグ財団美術館がある。
サン・ポール・ド・ヴァンスを少し歩き、マーグへ。しかし、展示していない収蔵品が多く残念。ミロの野外オブジェが多いが私はあんまり興味がない。ジャコメッテイが10点ばかり。
ゆっくりとニース・コート・ダ・ジュール空港へ。
ガソリンを入れ、車を返して21時40分発のリスボン行きイージージェットを待つ。が、これが1時間ばかりも遅れ、リスボン着が11時30分過ぎ(リスボンとフランスは1時間の時差)。やっと深夜1時前ロシオ広場近くのホテル着。
リスボンは3年前にしっかり歩いたが、帰ってきて司馬遼太郎さんのジェロニモスの横の海洋博物館の項を読み、再訪。
この博物館は海軍の管轄で、大航海時代の幕開けから現在の軍艦まで詳しく紹介されている。まさにポルトガルの栄光の時代を振り返っているようだ。
しかし、いつの時代のどの大船も軍船であり、船腹には鉄砲、大砲がずらりと並んでいる。つまり、行く先では、その地を侵略し支配するのが目的なのだ。世界が帝国主義というなんともいいようのない時代の幕開けが大航海時代だ。
隣のジェロニモス修道院の壮大さは、その植民地からのアガリでつくられたものであり、航海王子の無事を祈って建てられたものだそうだ。
先進帝国の植民地政策、アジア侵略、それに刃向かった「坂の上の雲」の日露戦争。思い上がりの歯車が狂い、ミイラ取りがミイラになり、アジアの人々を苦しめた大日本帝国……。
ふと、そんなことを考えながら、リスボンをぶらつく。
ときどきドライバーが右や左に曲がるが、距離もそうきつくなく、90を少しだけ切ってまずます。
しかし、ビルがあまりにもヘタで、マークさんがあきれて、「ほったらかして行こうよ」なんて言うが、そうもいけまいと、ガマンする。
9時20分にスタートして、12番に茶店があり、ビールなどを飲んで後ろの組をパスさせたりして、1時35分ホールアウト。
顔を洗って、ビールを2杯。明日はどこに行こうかなあとマークさんに聞いてみると、「ペンハ・ロンガかオイタボスかなあ」という。ペンハ・ロンガはこの前来た時に行ったロバート・トレンド・ジョーンズ・ジュニアのコース。受付でオイタボスの電話番号を聞き、予約する。
タクシーでエストリル。帰りはソドレから地下鉄。4時前ホテル。風呂に入り、国立劇場裏の大衆食堂へ。ビールとポークのステーキ、ワインは白とか赤とか言うだけ。デキャンタに入った白や赤がドンと出される。飲んで食って約10ユーロ。
2週間あまりの本ツアーも今日が最終日。
今日はゆっくりで、9時半にホテルを出る。ロシオ広場から地下鉄でカイス・ド・ソドレ駅。きのうのエストリルの少し先の終点カスカイスへ。駅からタクシーで10時40分着。
オイタボスは2001年創設の新しいコース。アーサー・ヒルスという人の設計で、オープンカントリーとあるが海辺の美しいリンクス風。プジョーランクは17で、かなり評価は高い。
ティーは5カ所あるが、まん中のイエローからアウト2,866m、P36,イン2,739m、P35、トータル5,605m(6,110ヤード)、P71。
電動カート込みで85ユーロ(11,900円)。11時15分、1人でティーオフ。快晴で気温は高いが、風があり涼しい。しかしちょっと強めの風。
2番で前の4人組をパスさせてもらい、のんびり気持ちよくまわる。海が美しい。
フェアウエーは広く、メンテナンスは最高。ミドルに長いホールが多い。グリーンは少し重いかなと言う感じ。ベントだが芝目があるようだ。
アウトはボギーペースで45。インに入りドライバーが当たり出したので、11番287m(303ヤード)P4でブッシュ越えのショートカットを狙うが、少し足らずブッシュに捕まってダボ。しかしまあまあで41。
カートを返すところで、お兄さんが「どうだった?」と聞くので、スタートの際JGAのハンデ証明を見せていたので、一応「ああ、テリブルですわ」というと、「スコアはいくつ?」「45、41で86!」というと「いいなあ~!僕はそんなんじゃ回れないよ」とお褒めの言葉をいただく。おまけにビールを飲み、タクシーを頼むと、キャディバッグにネームタグをつけてくれて、おまけにコースの布製のトートバッグまでいただく。
そうそう、以前までJGAが発行していたカード形式の国際ハンデキャップ証明がなくなり、A4にプリントされたものに変更され、それがUSPGAと共通のハンデキャップ証明になっています。で、そのせいかどこのコースでもこの証明書を見せるとグッと扱いが丁寧になったように思いました。海外でプレーされる方はぜひお持ちになるとよいかとお勧めいたします。
本ツアーのゴルフもこれで終了。
本日もホテルのすぐ前のもう一つ別の大衆食堂で打ち上げ。ピアノと呼ぶ豚あばら肉の炭火焼き、生ビール小、赤、白ワインなど飲んで食って、ここも10ユーロ少し。
隣に座ったおとなしそうな黒人に声をかけると、ザンビアの近くからで、日本にも行ったことがあるという自称・ミュージシャンで、CDを20ユーロで買ってというので、「お金がない」と返事をすると、「あげるよ」という。仕方がないので日本のたばこをホテルに取りに行き二箱と、豆煎餅が袋半分ばかり残っていたのであげる。
6時25分、タクシーで(17ユーロ)空港。すごい人。
チェックインし、別の窓口でゴルフバッグの別料金を支払う。(なんと、35ユーロ=4,830円)で、来る時のネットでの料金より安い。
ヘルシンキまではポルトガルエア。こちらはヘルシンキまでの間にビールもワインもあまり美味しくはないが食事もちゃんと出る。ヘルシンキのフィンエアAY79で、久しぶりに多くの日本人。そういえば、この旅行中、ほとんど日本人に会わなかった。23日朝、名古屋(中部セントレア)に帰る。