パリに住む絵描きの友人の個展にあわせて、当社が制作したパンフレットを届けがてら出かけました。ついでに少しはまじめに勉強してみようとブルゴーニュにロマネスクの古寺を訪ね、ついでに(!)ゴルフ場があればと、クラブをかついで行ってみました。

 パリの宿は、いつもながら安宿。
 ルーブルの隣りに新しく開設された広告美術館で「エールフランスの広告の歩み」や、ポンピドーでの「ジャン・コクトー」の大回顧展などを見、郊外の友人宅でゆっくり昼酒を飲み、雑談にふけったり、目を付けてきたゴルフ場に電話して、「適当に行って、ゴルフ出来ますか?」など、問い合わせてもらう。

 絵を見たり、本屋で立ち読みをし、市場をのぞき、サマルテンのトウーパリでちょっと気取った昼を食べ、夜は小さな場末のレストランでワイン。秋のパリで勝手気まま。まさに悦楽そのもの。

Golf National

http://www.golf-national.com

 4日目の11月3日、車を借りだし、宿をムフタールのはずれに移し、まずは、前にも行った Golf National へ。

 パリ近郊には数多くのゴルフコースがあるが、「モルフォンテーヌ」や「シャンティ」「サン・ジェルマン・アン・リー」などの超名門プライベートコースでのプレーにはかなりの手続が必要とされる。
 手っ取り早いのはパブリックコースであるが、「ゴルフ・ナシオナル」はフランスゴルフ連盟が運営するパブリックコース。
 チャンピオンコースの「アルバトロス」(7,100ヤード)と「イーグル・コース」(6,600ヤード)、さらに2,400ヤードの9ホールがある。
 ビジター(フランスゴルフ協会員以外)のグリーン・フィはアルバトロス平日49ユーロ、週末63ユーロ。イーグル平日30ユーロ、週末45ユーロである。好きなときに行ってプロショップでお金を払い、プレーできる。
 12時過ぎに着き、ハウスでサンドイッチとビールのお昼を済ませ、12時45分、手引きのカートを引き、アルバトロス1番をティーオフ。前の組は若い男の4人組。いずれもバッグを担いでいる。
 ティーは黒(コースレート77.2)、白(同75.4)、黄(同74)、ブルー(同71.1)、赤(同69.5)とあり、白から始める。
 1番、350m・P4。(約389ヤード=フランスはメートル表示。1.11倍がヤード)距離はグリーン・フロントまで。
 ドライバー、5I、AW、2パット。2番170m、すこし打ち降ろしを5Iで届かず、池ポチャ。3番460m・P5で5W、4I、9I、AW、1パットでかろうじてパー。以降、ボギーに時々ダボがあり、ハーフ48。
 ティーからはフェアウエーが「ここに来い」と指示してくれている。グリーンもひねっていない。コース・コンディションもいい。が、なんだか知らないが、とにかく届かない。ギリギリの距離をねらい、「ちょっとあたりが薄いかな」と思うと、必ずいいライには止まっていない。という感じ。
 後半は黄色からにする。が、スコアはちっとも良くならない。上がりの名物ホールの18番では、1W、ナイスショット、4Iで池、PWで池、9I、2パットでトリプル!

1番ティ
7番ティ
11番で前の組を追い越す

 風もなく、穏やかな晩秋の空。11番で前の4人組を追い越し、1人ののんびりゴルフ。スコアなんかどうでもよいハズだが「う〜ん!」と少し落ち込んでしまった。
 スケールの大きいコースで、ヘナチョコゴルフでは通用しないコース。スタート時、初老の夫婦づれはイーグルコースに向かっていた。気軽な気分だったらこちらなのだろう。4時10分、ホール・アウト。
 ホテルに帰り、シャワーをして、サンジェルマン・デ・プレへ。
 車を大通りの地下駐車場に置き、サン・ミッシェルまでぶらつく。裏通りの小さなレストランでビール、サラダ、ラザニア、ワイン。
 近ごろはパリでも酒気帯び運転が厳しくなっていると聞く。車を置いたまま、歩いてムフタールのはずれのホテルに帰る。

Domaine du Roncemay

https://www.roncemay.com/fr/

11月4日(火)

 ゴベリン通りを南下し、ポルト・ド・オルレアンからA6に入る。
 パリから約134キロ。ブルゴーニュ地方の入口の町、オーセールの手前で降りる。
 畑の中の地道を走り、小さな村落を二つばかり越え、看板に導かれて、林の中に分け入ると、小さな貴族の館(シャトー)のような建物が現れる。
 車を置き、ショップに入っていくと「ボン・ジュール・ムッシュ」と、品のいい中年の女性に迎えられる。
 プレー出来ますか?と聞くと、「どうぞ、どうぞ。ただ、今日は火曜日でレストランはお休みですが…」とのこと。
 カートを引っ張り、優雅なかわいいクラブハウスの横手から打ち出す。

 白マークから、アウト3,096m・パー36、イン3,174m・パー36、コースレート74。グリーンフィ・30ユーロ(約3.900円)。ブルゴーニュの森の中の美しい黄葉に彩られたコースである。
 人にも会わず、ひたすら静かなコースを、打っては歩き、パットしては歩いていると、気持ちが洗われるような気がしてくる。若いとき、山歩きのテントの中で読んだ尾崎喜八さんの文章を地でいっているような感じになってきた。「シャンソンというより、ドイツ・リードだな」とつぶやいてみたが、一曲はおろか、その一節も知らないから黙って歩くしかない。

1番ティ
4番ティ
ヤーテージの表示はメートル
メンバーズ・クラブハウス

 ヒンヤリとしていて、が、スリーパットをすると熱くなり、セーターを着たり脱いだりする。フェアウェーはまずまず、グリーンはバッチリ。とにかく、どっしりと落ちついたなかなかの風格あるコースである。パーが5つ、ダボが3つ、アウトもインも44。最低限の我慢できるスコアではある。つまり、コースを知っていれば防げたミスを差し引けば我慢できる数字ということであります。(言い訳にしかならないわな!)
 A6にもどり、オーセールを越えて82キロ。アバロンで降り、インターチェンジそばにibisを見つけて泊まる。
 ibis というのは、フランスを中心にヨーロッパ、世界各国に展開する、安く、アメリカンタイプのモーテルである。場所によって料金は違うが、ここアバロンは49ユーロ。ツインしかないのでもったいない気もするが、久しぶりにゆっくり風呂に入り、衛星テレビも見られて約6300円、ま、いいか。 但し、レストランは料金はともかく、大味すぎてちょっといただけなかった。

ヴェズレーからソーリュへ

 パリから南東に延びる高速道路A6を1時間ばかり走ると、ゆったりとうねった大地に畑が広がり、白い牛が点在する牧場の風景が現れる。
 このあたりから、デジョンを中心にリヨンの手前、マコンあたりまでをフランス14の地方の一つブルゴーニュという。
 ブルゴーニュは農業国フランスを代表する沃野。
 ロマネ・コンティ、シャンベルタン、マコン、ボーヌ、シャブリ…。ワイン通でなくても聞いたことがあるだろう名酒。エスカルゴ、コック・オ・ヴァン(鶏の赤ワイン煮)、ブッフ・ブルギニョン(牛肉の赤ワイン煮)など、お馴染みのポピュラーなフランス料理。そして中世に花開いたロマネスクの古寺が点在する歴史のロマンが眠る地方でもある。
 ま、しかしこのサイトは「ゴルフ世界の旅」。興味のない方は飛ばしてください。

ロマネスクと巡礼

 キリスト教の聖堂は、地下に殉教者の聖遺物を保持し、その礼拝の場所としてはじまったもので、礼拝者が増えるにしたがい、その上に大聖堂が築かれるようになった。
 ロマネスクの時代(11〜12世紀)は、その聖遺物崇拝と聖像崇拝が頂点に達した時代で、信徒達は自分たちの町や村の聖遺物だけでは満足せず、遠隔地の著名な聖遺物を礼拝するのが彼らの夢であった。
 古くにはキリストの聖なる地・パレスチナへの巡礼があったが、7世紀以降イスラムが興ってからは、その地は戦乱となり、東方聖地に代わってイベリア半島の西北にある使徒聖ヤコブの遺骸を祀るサンチャゴ・デ・コンポステーラを巡礼の目的地にすることになった。
 ヨーロッパ各地からの巡礼は、途中、著名な聖地をめぐりながら、野を越え、厳しい山を越え、少なくとも数ヶ月をかけ、危険を冒してサンチャゴを目指したという。多いときには一日千人を超える巡礼者がサンチャゴの町に入ったと伝えられる。
 10世紀までのヨーロッパは、東方での十字軍によるイスラムとの戦乱、北方の蛮族ノルマンの侵略、イスラムに南欧を掠められ、東からのマジャール人に辺境を脅かされたまさに惨憺たる状態であった。
 しかしこれら異教徒たちはしだいに各地に定着し、キリスト教化したりあるいは後退し、スペインでのレコンキスタ(イスラムからの国土回復運動)の最中の聖ヤコブの奇跡、そしてサタン再現の「千年至福説」を経ての民衆による人間の開放、キリスト教史でいう「11、12世紀ルネッサンス」が到来する。
 後年、ロマネスクと名付けられた文明は、こうした背景のもとに花開いた時代の文明である。なおかつ11、12世紀の地球は温暖期に入り、農業生産が飛躍的に増大した時期で、こうした経済力がロマネスクの文明を支えることにもなったのである。
 中でも巡礼の流行は、未知の国々の人々の交流を促し、異質文明を混交し、新しい汎ヨーロッパ文明を築いていくことにもつながった。
 私たちがロマネスクの彫刻や建物に接するときに感じる、あの素朴な中にも人間本来の温もりと、ユーモアや諧謔、異邦人を拒まない豊かな精神性は、そんな人間の開放という時代背景にこそ生み出されたものなのだろう。
 フランスにおけるサンチャゴ巡礼の道には四つの主要道路がある。
 (1)アルルを起点とするトゥルーズの道。(2)ル・ピュイとクレルモン・フェランが起点のル・ピュイの道。(3)ヴェズレーとオータンが起点のリモージュの道。(4)パリとモンサン・ミッシェルを起点とするトゥールの道である。
 いずれもピレネーの峠を越えスペインのプエンテ・ラ・レイナで合流する。

 ヴェズレー(Vezelay)はリモージュの道の起点。
 朝、田舎道を走り、ヴェズレーの丘に近づいていくと、暖められた霧が空にのぼっていくにつれ、峰の上に壮大なカテドラルが望見される。サント・マドレーヌ聖堂である。

 この聖堂は、十字架上のキリストを最後まで見守り、復活した後のキリストとも接したという女性・マグダラのマリアの聖遺骨を安置した聖堂という。
 もちろん、眉唾ではあるが、修道士たちが語る縁起話がなかなかリアリティーがあったとみえ、おびただしい献金が集まり、ロマネスク彫刻の白眉とされるタンパンや数々の柱頭彫刻の逸品を持つ、すばらしい聖堂が出来上がった。1120年─1150年に造られたロマネスク空間である。

ヴェズレーの丘の街。一本道の坂道を上ってゆく
サント・マドレーヌ聖堂
堂内は明るく、柱頭には傑作そろいの彫刻がある
柱頭彫刻に見られる悪道図の多くは修道士の悪夢から生まれたもの。
淫乱の罪に苦しむ女と絶望の男。
大鷲に苛まれる少年、ギリシャ神話の美童ガニュメデス。
横で頭を抱えているのが父親。
聖堂の裏手は見晴らしの良い広場。ブルゴーニュの豊かな村々を抱く丘陵が見渡せる。
ソーリュからオータンへ

 ヴェズレーからソーリュに向かう。ブドウ畑がつづくなだらかな平原の中の裕福そうな農村を通過しながらドライブする。途中の町のレストランで、土地の人に交じって昼食。ワイン一杯、スープ、鶏、デザート、コーヒー。うまい!
 ソーリュはコート・ドールの中心の町。静かな佇まいだけれど、商店も多く、豊かそうな町である。コート・ドールとは黄金の丘という意味。町のシンボルでもあるサンタンドッシュ・バシリカ聖堂がある。
 この聖堂は722年、初期キリスト教聖堂(バシリカ)として出発。たびたびの改修によって様変わりしているが内部はロマネスク様式である。

サンタンドッシュのバシリカ聖堂(ソーリュ)

 聖堂内部は高い回廊を持ち、それを支える柱も高い。柱頭彫刻は首が痛くなるほど
見上げなければならない。「エジプトへの逃避」など、名品が多い。
 聖堂の裏手にフランスを代表するシェフが腕を振るうレストラン「コート・ドール」がある。もちろん、入口のメニューを見ただけで隣のショップでお菓子を買う。

レストラン「コート・ドール」

 ソーリュから41キロ、オータンはヴェズレーと並んで巡礼路リモージュの道のもう一方の起点である。
 オータンはローマが支配していた時代のブルゴーニュの中心地。現在では経済的にはデジョンにその座を譲ってはいるが、中世以来いまに至るまで、この地にあるサン・ラザール大聖堂にブルゴーニュ地方のカトリックの中心を意味する司教座がおかれている。
 サン・ラザール大聖堂は1135年─1140年に造られたフランス・ロマネスクを代表する聖堂。入口扉の上のタンパン「最後の審判」の足下に「キスルベルトゥス、これを造る」と、珍しく作者名の銘文がある。堂内を飾る柱頭彫刻も同一の作者と見なされる。
 聖堂の前の道を隔ててロラン美術館がある。その一室に、もともとタンパンの下のまぐさ石に刻まれた「アダムとエヴァ」の断片である「エヴァ」がある。等身大のなかなか色っぽい肢体で禁断の木の実をサタンから奪い取ろうとするポーズがリアルに描かれている。
 ギスルベルトゥスの作。アダムの行方は不明である。(写真を撮るのに料金が必要だったので撮らずじまい)

フランス・ロマネスクを代表する聖堂入口。
タンパン中央には最後の審判を下すキリスト。
右が地獄、左が天国である。
聖堂内部。
暗く、ゴジックの雰囲気が出てきている。

 柱頭はその一部を取り外して2階に展示してある。 一番人気の「眠るマギへのお告げ」
マギ(東方の三博士)の眠りは三者三様、天に昇る星を指さす天使に、そっと指を触れられ 目を覚ました博士の頭上にパチリと花形の星!

柱頭彫刻で物語を表現するのは
ロマネスク期の創案。
「首をくくるユダ」
「エジプトへの逃避」

 今夜の宿は大聖堂の裏手の、オテル・デズルシェリヌ Hotel des Ursulines 。この地を代表する名ホテルである。「安い部屋、たのむ、ね!」といい、74ユーロ(9,620円)。キヨブタ(清水の舞台)をする。もちろん夕飯は外の安レストラン。朝はスーパーで買い置いたパンにチーズとハムなどで豪華なプティ・ディジョネ(朝食)。

Chailly

https://www.chailly.com

 オータンから50キロ少し、Chateau de Chailly(シャトー・ド・シャイイ)は中世の要塞をホテルにした高級リゾートホテル。グルメレストランがあり、テニスコート、温水プール、そしてチャンピオンコースの6,136mのゴルフコースがある。
 数々のパッケージプランがあるが、私の場合はゴルフのプレーだけ。(30ユーロ、週末45ユーロ、5月から10月までのハイシーズンはそれぞれ10ユーロ高い)。電動カートがあったのでちょっと張り込んだ。(15ユーロ)
 白マークからアウト3,016m・P36、イン3,071m・P36、コースレート(SSS)72.4。
 午後1時20分ティーオフ。

 広々として北海道の野原のような感じである。グリーンの手前に見えないクリークが横切るコースが数カ所。知らないのでちょっとむかつく。グリーンの状態は申し分ないが、フェアウェーが頂けない。ボコボコと芝がまばらなところが多い。天気は最高。眺めも最高。18番のロングをワンパット、やっとのパーで89。コースさえ知っていればということで、まっいいか。(こればっかりや)

1番ティグランド
1番ティから振り返るとシャトーホテル
ブルゴーニュらしい風景が広がる。
1人でのプレーヤーも多い。たいていヘタで豪快なゴルフだ。
とにかく広い野原の中。
プレーヤーの姿も少ない。
ティーグランド横、所々にベンチ。
最終18番のロングはたそがれ。やっとパー。
フランスらしく(?)芸術的な表示。 背中にゴミ箱がある。

 4時50分ホールアウト。
 ショップへカートを返しに行くと、お兄さんが「シャトーに泊まっていかないの?」という。「いや、デジョンで泊まるよ」というと、ちょっと残念そうな顔。「安く、手配するよ」というようなことを言っていたが、「メルシー、オーボア、ムッシュ」でA38で20キロ、エスカルゴとワイン、マスタードの町、デジョンへ。
 正直言うと、安くしてくれれば一晩泊って、明日の朝またコースを回り、デジョンに寄ってパリへ。ということも考えていたのだが、フェアウェーがどうも気に入らなくて、あすのことはデジョンで考えようと思ったのであります。デジョン駅の近くにibisを見つけ泊まる。
 町まで歩いていき、良さそうなレストランを見つけたが、予約で満員と聞き、その辺を探る。高級そうな所もあるが、並程度のところで夕飯。デキャンタに入ったテーブルワイン、おいしくなかった。となりの中年の出張サラリーマンらしき人の食べていた皿がうまそうだった。

11月7日(金)

 午前中、デジョンの街をぶらつき、靴二足、マスタードやラファイエットでワインや昼飯を買い込み、A38からA6を経てフォントネーへ。
 あるいは、どこかでもう1ラウンドというのも考えたが、ま、たまにはたっぷりと清貧の気分に浸ろうとシトー派の世界遺産、フォントネー修道院へ。
 フォントネー修道院は聖ベルナールが1118年に創設したシトー会の修道院。自給自足、一日一度の食事、ひたすら瞑想と神への祈りの毎日。徹底して装飾と宗教図像を排したことで知られる。生活の煩雑さと視覚的刺激が瞑想による修行の妨げになると考えたからであった。
 このひっそりと、人里離れた森の中にたたずむ修道院も、しかし18世紀末のフランス革命による廃仏毀釈的な雰囲気のもとに民間に売却され、製紙工場となっていた。
 製紙工場は1906年に閉鎖。最後の所有者エドワード・エナールの意志により、修道院本来の姿に戻され、現在もエナール家の私有財産であるが歴史的建造物として保存管理されている。

デジョンの中心・ギョーム門
デジョンのノートル・ダム教会
ノートル・ダム教会内部
フォントネー修道院聖堂正面ファサード
一歩内部にはいると静寂な精神世界に引き込まれる。
その簡素さは、ある意味、 最もロマネスク的空間なのかも知れない。
フォントネーとは「泉」を意味する。そのもととなった泉がこれ

 残念なのはこのすばらしく素朴な建造物が、現在その本来の活動には使われていないと言うことである。単に歴史的建造物ではなく、今もいきいきと修道士たちの生活の場であったなら、もっともっと輝きを増すものであろうと想像される。
 夕刻パリにもどる。

フランスでのゴルフについて

 フランスのゴルフは、基本的にイギリスやアメリカと同じ。パブリックとメンバーズとがはっきりしていて、メンバーズでのプレイはそれなりの手続きが必要です。だいたいは手紙やFAXでJGAのハンデ証明を添えて申し込めばティータイムの予約を受け付けてくれるようです。但し、絶対にメンバー同伴でなければというコースも多い。

 こんな本がありますから、参考にしてください。

 ヨーロッパのコース案内で1000コースのコース、ハウスなどの評価が点数で掲載されています。